Friday, March 9, 2012
では滅ばない本はあるのか。そもそも「本」とは何なのか。それを考えるには、まず書物のイメージを捨てなければならない。つきつめると人間が作ってきた書物はすべてが「本についての本」だったと気づくからです。たとえば古典とみなされるアリストテレスの『自然学』ですら〈自然〉にすでに書かれていることをどう読みとるか、それを読みとり、議論する技術を伝授する講義録だった。そんな風に考えると古典も含めて、すべての本は先行する本を読むメチエを伝える本だったことになってしまう。言い換えれば、アリストテレスの『自然学』がそうだったように、それが読み解く対象、究極の「本」はすでに〈自然〉として書かれ、与えられていたとも言える。そして僕はこうした〈自然〉としての本の原点は、やはり天体だったと思います。人間は天体の運動の幾何学性を読み解くことで、身の廻りの事象を支配する法則を発見し読み解いてきた。文学でも音楽でも政治でも気象でも身の廻りに起こる出来事すべてが構造として天体の幾何学性に対応していたのを発見してきた。天体の時間は人間の歴史と比較できないほど長大です。その幾何学性は人間の歴史のスケールくらいでは変わらない。これほど安定した媒体はない。ですから古代以来の記憶術がそうだったように、天体にマッピングさせる読み方さえ変化させれば、いかなる情報でもすでに天体に書かれている(た)と発見できる。書かなくても本はすでにある。読み方だけ変えればよい。こうした自然と人間的事象との構造的対応こそ文化です。その対応が人間にとっての環境=二次的な自然です。 岡崎乾二郎:生きられた(自然としての)「本」(池澤夏樹編『本は、これから』所収)
Friday, November 12, 2010

岡崎乾二郎「眠りについて」より抜粋

ところで映画という装置は、この裏切りの仕組みを機械化したもの、つまり知性の物質的変容の強化、すなわち痴呆化過程を加速する装置であった。写真が無意識を発見したといわれるなら、映画はむしろ、写真より遡って、当の無意識自体を作り出したともいえるだろう。映画はたとえば、人が行なう想起、回想のプロセスを模倣するが(フラッシュバック、モンタージュという技法によって)、一方、その映画が強制的に強いる想起のプロセスは、観客が主体的に行なう、通常の想起のプロセスを抑圧してしまう。簡単なことである。映画を見ている最中(つまり映画がまだ進行中の最中)に、なにかほかのことを思い浮かべること、たとえ、それが当の映画の中で、10秒前あるいは5分前あるいは10分前に起こった出来事を観客が想起しようとするだけで、観客は猛烈な睡魔に襲われるのがオチであろう──ということだけで、それはよくわかる。つまり映画は、人間が通常行なう複数の想起──人はそのことで複数の出来事の流れを統制し、すなわち時間を構成するのであるが──この、複数ありえるはずの内的に構成される時間の流れを、映画は一挙に抑圧し、ひとつの機械的な流れに押し込めるわけだ。映画の中でわれわれは反省することができない。われわれはただ映画に従うほかない。かつて何が起こったのか、ではなく、つぎに何が起こるのか。ただその流れにとりあえず痴呆的にまで身をまかすほかない。その流れにさからって、われわれが主体的に反省作用を稼働させ、想起をはじめると、たちまちわれわれの意識は混濁し、白昼夢のただ中にまよい出る。映画館にはイビキが満ちあふれる。

Saturday, November 14, 2009

 高さ156.4センチ、幅364センチ、六曲一双の画面に描かれた光景は、平均的な身長を有する成人の視線よりも低いこの絵の実寸に見合い、人が足元を見下ろすような視点によって描かれているように見える。言い換えれば、通常の視線が無限に延長されて収斂していく消失点も、それが回転してできる水平線も、その上の空間も、この画面からは断ち切られ、ひたすら、ここに展開するのは水平面から地面までの限られた距離(156.4センチ)の世界である。延長を断ち切られ、浅く抑えられた空間、のはずなのにもかかわらず、この絵は描かれて以来ずっと、そう感嘆されてきたように、無限に深まる空間の感覚を与える。それはなぜか。

 1909年、この「落葉(らくよう)」と題された屏風絵を第三回文展に出品しようとする間際ぎりぎりになって、菱田春草はこの絵から、すでに描きはじめていた土坡(どは)を消し去る決心をする。土坡とは、地面の表面を示す凹凸、襞であり、つまり地肌。これを描かないということは、地面を示す手掛かりを喪失し、すなわち地面は描かれえない、ということを意味している。

 したがって、ここには地面はない。すでに述べたように、空もなく地平線もない。ぼんやりとした淡い枯色の階調だけが画面には塗られている。かろうじて地面を感じることができるとすれば、ただここに、描かれている無数の落ち葉たちから推し測り、その集合が一つの面を形成すると想像するからだろう。けれど地面は実際は描かれていない、あくまでも想像された地面である。だから見ようによっては、落ち葉がただ垂直に立てられた画面の平面を文字どおりすべり落ち、その途中、たまたま画面のどこかに、ピタッと止まった姿と見えないこともない。
 事実、画面の上方ではまだ数の少ない落ち葉が、画面の下方の縁に向かって、積もるように量を増す。その上方から下方へ増大する落ち葉の疎密の割合は、落ち葉が垂直に、絵の表面に沿って落下するときの物理的法則に則しているようにすら見える。そして画面の底に溜まってゆく落ち葉。

 つまり描かれた落ち葉は、遠近法の奥行きに従って斜め後方へと傾斜する地表面に着地しているように見えつつ、同時に、画面に沿って、いままさに落下しつつある途上の姿をも写しているのである。画面に曖昧に塗られた淡い枯色がこの二つの矛盾する平面を溶かしこんでいる。あえて、無限の空間の拡がりがこの絵に表出されていると言うならば、それはひとえにこの暗示された地面の矛盾した性格からくる。当然、この視点を人の視点として求めようとしても不可能である。この視点は誰のものでもありえない。にもかかわらず、この絵は決して支離滅裂でも非現実的でもなく、一つの視点によって統合されうること、つまり視点としては可能であるとリアルに意識させる。
 たとえば、画題通りに、これから果てのない奈落へ落下しつつある「落ち葉」の視点を想定したらどうか。すると、この空間の矛盾した性格はとりあえず解決するのではないか。春草があえて土坡を描かなかったために、人が歩くにはあまりに頼り無く曖昧になってしまっていた地表面も、この奈落に向かって落ちつつある落ち葉がその途上でかろうじて留まった中空と考えれば合点がゆく。

 奈落に向かって落下していく落ち葉。そんな視点が実際あるのかどうか知るよしもないが、いずれにせよ、菱田春草の『落葉』が、こんな誰のものでもありえない視点を絵画が創出することによって、初めて観客に、これをいま見て体験しているのはただ『自分だけ』なのだという、孤立し、ゆえに突き刺すような痛みをもったリアルな感覚を生みだすことができる、という近代芸術の原理を日本において最も早く実現した傑作であったことは疑いえない。
 揺れ動きながら落下する落ち葉の視点は、唐突だが溝口健二の、あのゆらゆらと揺れ動くカメラの動きも思い起こさせる。客観的で中立公平の位置にあるはずのカメラがよろめくたびに、まるで何モノかが感情をもってその場面を眺めているように感じられる。というより、そのときカメラは、はじめて特定の視点として意識されるのだが、もとよりそれは誰の視点でもありえない、幽体離脱した魂のような視点である。この誰のものでもない視点の創出が戦後のリアリズム-ドキュメンタリズムと結びつけられて理解されたのは、この視点が、分節され孤立した無数の観客の主観の揺らぎ──「私が見ている」──を強く意識させると同時に、それを代表し、リアルな地平として一つに束ねるように働いたからだった。

 日本画に共鳴していた日本映画の一例というよりも、いかにモダニズムはナショナリズムを随伴せざるをえなかったか、ということを伝える逸話である。あてどなく落ちつづける「落ち葉」、根ざすベき場所から離され、ちりぢりにさまよう小さな「国民」たち。共感の地平を構成していたのは、こうした単位だった。

批評空間:岡崎乾二郎【国民絵画の創出──菱田春草『落葉』
Monday, November 2, 2009
10月31日より、東京都現代美術館常設展示室においてスタートした、岡﨑乾二郎 特集展示 についてのご案内です。これまで東京にて開催された個展の中では、一番大きな展覧会(出品作品は、70点以上)となります。絵画、彫刻、レリーフ、建築模型と、多岐にわたる作品群をみることができます。会期も10月31日から来年4月11までと、長期間ですので、何度もお越しいただき、岡崎作品を、じっくりと堪能していただければと思います。ご多忙の事とは思いますが、足をお運びいただければ幸いです。どうぞよろしくお願いいたします。———————————————MOT コレクション特集展示 岡﨑乾二郎現代美術館収蔵の岡﨑作品に加えて、ゼロサムネールシリーズ52点や1989年ゲント美術館で展示作品など、近作・旧作を交えて展示。[美術館HP http://www.mot-art-museum.jp/collection/index.html]岡﨑乾二郎(1955- )は、1980年代初頭から現在に至るまで、絵画や彫刻のみならず、建築、ランドスケープデザイン、映画、絵本、舞台美術、衣裳デザインと、多角的な制作活動を展開してきた造形作家です。また、精緻な評論や教育活動によって、後続の世代にも大きな影響を与えてきました。今回の展示では、当館がこのたび収蔵いたしました岡﨑作品をはじめて紹介するとともに、この機会に、これらの作品を核として、作家および所蔵者各位のご協力を仰ぎ、近作・旧作を交えた展示を開催することといたしました。80年代以降の日本の現代美術史において、最も注目すべき活動を続けてきた作家のひとりとして、その多岐にわたる活動のより充実した展観の場をめざします。関連イベント1. 岡﨑乾二郎 アーティスト・トーク日時:2009年12月19日(土) 15:00~17:00(14:30開場)会場:東京都現代美術館B1F 講堂入場無料2. 岡﨑乾二郎「回想のヴィトゲンシュタイン」(1988年制作) 上映会デジタル化技術協力:慶應義塾大学デジタルメディア・コンテンツ統合研究機構日時:2009年11月14日(土)、12月20日(日)、2010年1月10日(日) 14:00~(上映時間約1時間)会場:東京都現代美術館 B1F 講堂入場無料■会 期 : 前期 2009年10月31日(土)-2010年1月24日(日) 後期 2010年1月26日(火)-2010年4月11日(日)■開館時間:10:00-18:00(入館は17:30まで)■休館日 :月曜日 (ただし11月23日、1月11日、3月22日は開館。 11月24日、12月28日、1月1日、1月12日、 3月23日は休館)■観覧料 :一般500円、大学生400円、 高校生・65歳以上250円、中学生以下無料 (ただし企画展のチケットでご覧頂けます)■会 場 :東京都現代美術館常設展示室☆作家HP:http://kenjirookazaki.com/———————————————
 こりゃ〜、前後期で東京行けるように時間考えておかんとな。

10月31日より、東京都現代美術館常設展示室においてスタートした、
岡﨑乾二郎 特集展示 についてのご案内です。

これまで東京にて開催された個展の中では、一番大きな展覧会(出品作品は、70点以上)となります。絵画、彫刻、レリーフ、建築模型と、多岐にわたる作品群をみることができます。
会期も10月31日から来年4月11までと、長期間ですので、何度もお越しいただき、岡崎作品を、じっくりと堪能していただければと思います。

ご多忙の事とは思いますが、足をお運びいただければ幸いです。
どうぞよろしくお願いいたします。

———————————————

MOT コレクション
特集展示 岡﨑乾二郎
現代美術館収蔵の岡﨑作品に加えて、ゼロサムネールシリーズ52点や1989年ゲント美術館で展示作品など、近作・旧作を交えて展示。

[美術館HP http://www.mot-art-museum.jp/collection/index.html

岡﨑乾二郎(1955- )は、1980年代初頭から現在に至るまで、絵画や彫刻のみならず、建築、ランドスケープデザイン、映画、絵本、舞台美術、衣裳デザインと、多角的な制作活動を展開してきた造形作家です。また、精緻な評論や教育活動によって、後続の世代にも大きな影響を与えてきました。今回の展示では、当館がこのたび収蔵いたしました岡﨑作品をはじめて紹介するとともに、この機会に、これらの作品を核として、作家および所蔵者各位のご協力を仰ぎ、近作・旧作を交えた展示を開催することといたしました。80年代以降の日本の現代美術史において、最も注目すべき活動を続けてきた作家のひとりとして、その多岐にわたる活動のより充実した展観の場をめざします。


関連イベント
1. 岡﨑乾二郎 アーティスト・トーク
日時:2009年12月19日(土) 15:00~17:00(14:30開場)
会場:東京都現代美術館B1F 講堂
入場無料

2. 岡﨑乾二郎「回想のヴィトゲンシュタイン」(1988年制作) 上映会
デジタル化技術協力:慶應義塾大学デジタルメディア・コンテンツ統合研究機構
日時:2009年11月14日(土)、12月20日(日)、2010年1月10日(日) 14:00~(上映時間約1時間)
会場:東京都現代美術館 B1F 講堂
入場無料

■会 期 :
前期 2009年10月31日(土)-2010年1月24日(日)
後期 2010年1月26日(火)-2010年4月11日(日)
■開館時間:10:00-18:00(入館は17:30まで)
■休館日 :月曜日
(ただし11月23日、1月11日、3月22日は開館。
11月24日、12月28日、1月1日、1月12日、
3月23日は休館)
■観覧料 :一般500円、大学生400円、
高校生・65歳以上250円、中学生以下無料
(ただし企画展のチケットでご覧頂けます)

■会 場 :東京都現代美術館常設展示室

☆作家HP:http://kenjirookazaki.com/

———————————————

こりゃ〜、前後期で東京行けるように時間考えておかんとな。

Saturday, October 31, 2009

制作のための12の注意事項
一、あたかも虫が飛んできて、そのままそこに止まったかような心の動き。
二、作業にはけっしてしばられない。
三、近づくと、視野が広がる。
四、はじめからそこに在ったかのような、もしくは瞬間に出来上がったような。
五、色、そこから光はそこに残る。
六、壁に静止している虫は重さを壁に委ねていない。
七、小さくて小さくて大きい大きくて大きい小さい、そんな。
八、そこがどこから始まるのか、わからない。
九、測られることを拒む。
十、こわそうと思えばこわせる、あるいは保存しようと思えば保存できる。
十一、見ると見つけられてしまう。
十二、見るたびに忘れてしまう。

(岡崎乾二郎「美術手帖」1983年3月号p.33)

omolo.com/news (via 11221122) (via hiko0707) (via ius) (via zbn)